2011/01/28

所信演説と言うか独白。




この無数にあるサイトやコンテンツが犇めく世界の中で私が何かブログで発言する事に意味があるのだろうか?まるで広大な砂漠で水をくれー!と叫ぶような虚しさが込上げたりするものです。しかし、ここは望みの無い砂漠ではない。独白をしていれば、その前を通過する人がいるはずである。その事をだけを期待して発言を続けます。

あらゆる人が大人になろうとした中で私は大人になるのを拒んだ。それは大学を卒業したあとも作家になる事を諦めなかったことだ。作品を作り続けたいと思った。卒業後は展示をしたり、コンテストに応募したり、ギャラリーに売り込みにいったりしていた。

しばらく、そういた事をしている間にある作家さんと出会いました。それほど有名な方ではないですが、知っている人は知っている方です。せっかくの機会ですから、私は彼に対してある質問をしたのです。それは、「私は作家になりたいと思っているのですが、貴方はどのようにして今のその作品を作り続ける環境を得たのでしょうか?」と質問したのです。

すると、それに対して彼は「作家の定義にもよりますね。純粋に作家で生きている人は日本には居ないでしょう。」、「アナタがもしも、私を作家として認識しておられれるのでしたら私の方法をお教えする事は出来ます。私の場合、大学の教授になれた事が作品を作り続けられる大きな要因です。だけれども、やはり毎日、制作が出来る訳ではないですが、春休み、夏休み、冬休みと長期の休みが多くあるのでその期間を利用して制作活動をしています。」とお話し頂きました。

僕は結構、単純な人間で良いと思ったら速実効で、その方の方法は日本で作品を作り続けるのには今現在ではベストな選択だと思いました。そして教授になるためには大学院と考え、大学院へ入学する事にしたのです。


大学院へ入学するとそこにはあまりも醜い世界が有りました。理想とはあまりにもかけ離れていた。生徒は常に教授にごまを擦り、そして教授は派閥争いに躍起になっているのです。そこらの会社と全く変わりゃしない訳です。おまけに生徒の作品はますますオリジナリティを失い、派閥色に染まっていくのです。そんな光景を目の当たりしたり、巻き込まれているうちに馬鹿らしくなり数ヶ月でやめる事になりました。

作品を作り続けられる生活が目標になり、作品の表現内容が疎かになる。本末転倒も甚だしい。それであるならば、アートとは関係無い仕事に就き、空いた時間を作品に注ぎ込むほうが、私にとって正しいのではないか?そう思ったのです。

それからは、アートと関係の無いお仕事をして今日まできました。普通の仕事をしながら作品を作り続けてきました。しかし、最近はどうしても金銭を稼げる仕事を優先してしまう日が多くなってきました。そんな生活を送っているうちに一日に表現の事を考えない日が増えてきてしまったのです。だがら、このブログのやる意味は、そんな生活を送っている自分自身を奮い立たせるためのものなのです。



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