2011/12/31

Maggie Taylor  マギー・テイラー









http://maggietaylor.com/

2011/07/26

躁鬱的アメリカ

アメリカでは570万人が現在、躁鬱病患者であると言われている。この激しい高揚感と著しい鬱状態を交互に繰り返す病気は、酷い場合には日常生活を破綻させる。


そもそも、アメリカは精神病者が町中をそこら中で彷徨っている。医療費が高くて通院出来ないのと、患者数が多い割には精神疾患に関する入院施設が少ない事で町中を彷徨う事しか出来ないのだ。こういった人たちは日常生活を維持するのも困難であり、独立意識の高いアメリカでは家族の繋がりも薄いから手助けもあまり無い。
アメリカの医療制度はほぼ破綻しており、クレジットによる自己破産の半数以上が高額の医療費を支払う事が出来なく自己破産の申請に至り、アメリカの半数以上の人がまた、医療保険にすら加入していない。オバマは医療改革をしようと躍起になっているが、税金が高くなり、金ばかり払い医療保険の恩恵を受けれない中流家庭は冷ややかな目で見ているのが現実だ。
病院に行くならば異様な光景を目撃する事になる。病院の中は凄いコントラストである。ほぼ、金持ちとホームレスしかいない。幾らでも金を払う事の出来る金持ちと医療費が無料のホームレスや子持ちの極貧家庭、これらの人しか医療をまともに受ける事が出来ないそれが、アメリカの現実である。

ともあれ、車を持っていない私は町中を歩くしか無い訳だ。ニューヨーク、ロサンゼルス都市部、学生街、繁華街、観光地以外で歩いているのは、大抵は変だ。まぁ近所の人が散歩や運動をしている場合もあるが、おおよそ何か、変である。この国土の広いアメリカで移動を徒歩でするのは、相当貧しいか、何らかの理由で免許を取り上げられた人たちである可能性が高い。そんなこともあり、歩いていると変なものに出会う。(私もその中の一人だが。)


例えば昨日は、歩いていると、前から大きな黒人男性が歩いて来た。歩道はとても広かったので避けたり、譲り合う必要も無く、普通に歩いてすれ違おうとした。すると、すれ違い様にその男性は大きな声でこちらに向かって「Don't bump me !」と叫んだ。私はビッくとして、反射的に「What's !?」と大きな声で言った。だが、その男は私の声に驚いたみたいで震えながら地面に踞っている。訳が分からないと思いながら、「Are you OK ? What's up sir ?」と言ったらば、また「Don't bump me !Don't bump me !」、「Hyaaaaaaaa!」と叫んでどっか走り去っていった。というか、正直こっちの方が怖いしと思ったが、まぁ何事も無くてよかった。

其れはさておき、
現在、躁鬱の事は双極性障害と言われる。英語でBipolar Disorderという。bipolarが(二つの)両極 と言う意味だ。
この両極性、双極性、bipolarでアメリカは満ちていると感じる事がある。
それに精神疾患が社会に呼応するものだとしたら、躁鬱病の発生が多いアメリカではそう言った土壌が日常的あると言う事の一端あり、現れではないかと考えている。

風景の事を一つ見てもそうだ。大都市の賑わいから、車を数キロ走らせれば地平線の見える何も無い大地が広がっている。上記に記した病院についてもそうだが、風景にしてもコントラストが激しい。

このようなコントラスト、光と影、成功かどん底か、みたいな両極端な光景が人々を躁鬱へと向かわせるのかもしれない。

この国を観察するのは中々楽しそうだ。

2011/07/02

Odd Nerdrum/オッド・ネルドル/北欧の憂鬱。




誰をモデルにし、どの絵を参考にしたか、上記の画集を見ると深く分析されている。バロック様式を如何に現代的表現にて描かれているか照査に分析されている。





                                                      google images


  このノルウェーの彼に興味を示すのは、その視覚に訴えかける悲劇性や技術的な事も興味を引くが、何よりもその北欧独特の暗さを絵から感じ取るからだ。その暗さは単なる悲劇ではなく、民族的悲劇なのかもしれない。

 彼の描画される空間は、昼なのか、夜なのか、判然としない。しかし、北欧の白夜や極夜などを思い浮かべるならば、その判然としない作品世界が生み出される下地が理解される。人間生活は太陽と共にあり、人間の精神状態も太陽と関係している事は現代で明らかになっている。日照率と鬱病の発生率を題材とした論文も多数ある。そのような地理的条件により生み出されるムードというものがある。彼の作品からは北欧の憂鬱とでも言うべき重いものを感じるのです。
 

 

2011/06/30

ジョージ・コンド/George Condoの軽さ




Kanye Westのアルバムジャケ



画像Google Imagesより


ジョージ・コンドはアメリカで非常に有名な画家だ。Kanye Westのアルバムのジャケに採用され、その絵を問題にされて発売中止になった事件があったり、スケートボードブランドsupremeのTシャツ、スケーボーの装飾に使われていてアメリカ国内だけでなく、日本でも少しは知名度が上がって来た様に思う。


 コンドは画家、アーティストに区分されると思うが、些か、全てにおいて軽さを感じるのは私だけだろうか。その軽さが影響してか、知名度がありながらも、アメリカを代表する画家とは誰も言わない所以が其処にあると思う。


 パリからニューヨークへ芸術の中心地が移り、活発な経済活動とともに新しい文化を発信して来たアメリカだが、今は発信地としてはそろそろ終焉を迎えるのではなかろうか。多くの世界の国々は民主化、資本主義化されてきた。今更、芸術表現がアメリカ社会の裏付けとしての自由であるとか、個人の権利、表現の自由など提示の代替えとして感じられても今更、何の効力も成していない。何故ならば、世界はほぼ同一になりつつあるからだ。立場を一緒にした国々が今思うのは、むしろ、アメリカの発信する文化の軽薄さが見えてきているのではないでしょうか。


 あらゆる物事の商業ベースでの価値決定、消費社会の虚栄の豊かさ、売れるか、どうかが物事の価値判断になっている現状、其れの象徴としてジョージ・コンドの作家のあり方が共鳴して見えてくる。アメリカの鏡、日本で言えば、村上隆などもその一人だ。株式会社村上隆。アメリカでは、ジョージ・コンド inc. と同じ様に発展している。


 良いか悪いかは別である。ただ現実的に軽薄であるのは事実である。買っては捨てて、新しいものを手に入れる。其れは価値転換のサイクルが早い事を意味し、株式会社で大量生産しなければ、捨て去れるだけである。ジョージ・コンドや村上隆などの軽薄さ、肉薄さをもった作家が出てくるのは当然の流れなのかもしれない。


 ジョージ・コンドはリミックス的で自己表現ではない。様々な要素を感じる。ピカソ風ベースであったり、ベーコン風だったり、様々な作家達がその時々の作品でリッミックスされている。美術の歴史を見れば、当然の様に色々な作家が作用し合いながら発展して来たし、其れが人間社会と言うものだ。歴史の中では、他者の作品を再加工し、提示するものもあった。しかし、コンドの場合、他作家の作家性のニュアンスをリッミックスするという複雑な事をしてくれた。その点でコンドに新しさを見いだす。彼の自己プロデュースの仕方はこの消費社会で生き残ってゆくの最善の方法ではないか。結局は軽薄であっても、其れが求められ、其れで生きてゆくしかなければ、致し方のない事なのだ。






 


 


 

2011/06/09

腎臓売って、ipad購入


腎臓売ってiPad2購入 中国の高校生、体調悪化


 【香港共同】米アップルの多機能端末「iPad2」を買うため、中国安徽省の高校1年の男子生徒(17)が臓器ブローカーに自分の腎臓を売っていたことが分かった。広東省の深セン衛星テレビが8日までに報じた。生徒の体調は少しずつ悪化しているという。



iPad2がどうしても欲しくなった生徒は4月下旬、腎臓が高く売れると知り、ネット広告を出していたブローカーに連絡を取った。湖南省の病院に連れていかれ、腎臓を片方摘出された。
3日間の入院の後、2万2千元(約27万円)を受け取り、iPad2や携帯電話iPhoneを購入。高価な持ち物を母親に問い詰められて発覚した。


[共同通信]




高校生の彼に同情の声もあるらしい。しかし、十七歳は流石に分別のつく歳だと思うのだが。

ipadを手に入れても、体が駄目になって死んだら、どうやってipadを使おうとしていたのか、奇怪な事件だ。

貧困層の臓器売買は、その日を生きるための食料や貧しい家族の暮らしために体を刻む事が、日々、行なわれている。その人身売買を取引する組織や市場があり、深刻であった。そして、一昨日には、ナイジェリアで32人の少女が人身売買用に子供を産ませるために監禁させられ、出産工場をしていた施設が摘発された。

売春と人身売買は世界最古の職業と言われており、日本でも「日本書紀」676年に記述がありました。だけれども、昔は労働力、性的搾取の目的であって現在はかなり、形がかわってきた。
以前も奴隷や、日本で言えば遊女などもある意味では命をすり減らしながら搾取されてきた。だが、現代は搾取した上、体を切り刻み、どこか先進国の人の延命へと繋がる。今は搾取されるものは骨の髄まで搾取される構造が出来ているようだ。

何時か、先進国では臓器提供が当たり前になり、私もそれら命を自分の延命をしたいがために体内へ取り込む事があるのだろうか。私が延命されて世のためになるとも思えない。

其れを考えると臓器提供カードならぬ、臓器拒否カードがいるかもしれない。





2011/06/07

被災地にて[6]


この辛い現実を乗り越えて、何時か新たな歩みを進んで欲しい。其れは皆、同意の意見だと思う。

だけれども、私は、同時にこの現実を忘れず、見続けなければならないとも思うのである。それは、歩みがただの忘却になってはいけないと考えるからだ。

被災された辛い記憶が完全に消えるとは思えないが、でも歩みが、忘却を意味し、忘却と時間の優しさを享受して進む事だとしたら、その記憶の礎となるのは、実は被災者以外でなければならない。何故ならば、被災者達は歩むべきなのだから。

被災者以外とは誰なのか?それでは、私たちでやるのか?誰なのか?

それは、やはり政治であると思う。

だが、現在その役割を担える政治はこの日本には存在しない。

民主主義である限り、政治家が愚かであるのは国民が愚かである事の証明である。結局まずは、私たちが変わらなければ何も変わらない事を意味する。

私たちが未来と言う事に基づいた投票活動をしなければならない。こんなことを言うと偽善者めと言われるかもしれないが。自分の会社に有利なとか、公共事業の関係とか、利害の関係の目先の安っぽい未来ではなく、本当の未来について考えるのだ。政治家は自分が当選がしたいから、国民が明確な意志があるのならば、それに従う筈である。首相にリーダーシップが無いと罵倒する人が多いが、それは国民がハッキリした意見の無い事の裏返しではないか?と思う。少なからず、政治家は私たちの代表なのだから。



最近、風化させてはいけないと言う事から、記念碑や被災施設の保存に乗り出そうと、被災地域中心に話がされている。
私は、三陸を車で走っていて、或は、街を歩いていると、あらゆる所で明治、昭和の津波の石碑を見た。三陸地方へ来る前、報道で宮古の石碑が紹介されていた。「ここより、下へ家を建てるな。」との文言が記されているもので、先人が残した未来への伝言である。報道はまるで珍しいものを紹介する伝え方だったので、三陸へ来て石碑や津波の文言が書いてあるものが至る所にあり、正直、驚きました。
記念碑や被災施設の保存はある意味では重要だ。しかし、風化させてはいけないという事を先人から学ぶのであれば、記念碑の類いがほぼ役に立たず、不十分である事は自明である。であるならば、私たちは新たな記憶の礎を如何に施すのかを政治に求めねばならない。

私たちが人間の命に重きを置いて、未来を考えた場合の話ではあるが‥‥…。

2011/06/05

被災地にて[5]


この写真は岩手県陸前高田市の広田半島です。よく見ると分かると思いますが、海が見えています。この海は津波が来るまでは見えていなかったそうです。
この写真は、被災者さんのお庭から撮ったものです。津波が来る前までは防波堤とその上に鉄道があり、大船渡線が走っていて全然、海は見えていなかったそうです。そして、この辺は一面に水田が広がっていて、建物はあまり無かったそうですが、何処からか流れ着いた瓦礫がいっぱいありました。

農地の復旧も大変な問題の一つです。田んぼなどの農地は地盤が柔らかいので、地中の深くまで瓦礫がめり込んでいる事があります。表層の瓦礫を退かすと地中に半分埋まった車であるとか、電柱、道路のアスファルトの根こそぎ剥がれたのとか、重いものが埋まっている事があります。その他諸々の細かいものも埋まっていて、ガラス片や釘などもあり、踏み抜き防止の鉄板を靴底に無いと怖くて歩けません。

瓦礫の他に問題なのは塩害です。やはり、塩分濃度が高いと作物は育ちにくいので、濃度を下げる必要があります。田んぼであれば、「代かき」と言う整地作業と、淡水による水の入れ替えを何度もする事で改善されるようです。だが、農業従事者の高齢化は深刻で果たして何処までの人がやるのか、または出来るのかも問題である。これら、作業は特殊なものになってくるので、農業の専門的なボランティアもこれから必要になってくると思います。

2011/06/04

被災地にて[4]

避難所から何時かは仮設住宅へと移り住む事になるわけですが、一部地域では仮設住宅が出来ており引っ越しが始まっております。その引っ越しをお手伝いさせていただいたことがあります。
移り住むのに優先順位みたいなものがありました。やはり、子供とお年寄りのいる世帯が優先順位が高くなります。私がお手伝いしたご家族も子供とお年寄りのいる世帯がほとんどでした。
結果的にその子供とお年寄りのいる世帯となると人数は結構多い事になります。お手伝いした所は8人もの人が居る世帯でした。その時は避難所から荷物を仮設住宅へと運ぶ段取りで引っ越しをしました。避難所で荷物を受け取りましたが8人分ですので、布団や洋服だけでいっぱいになりハイエースの車で2往復ぐらいでした。引っ越しと言ってもやはり、皆さんはあまり家財道具や家電製品はありませんでした。それでも仮設住宅へ荷物を移すと8人分もの布団と荷物は多く、足のやり場に困る感じになりました。8人で2DKの環境でこれから2年は住むことを事を考えると複雑な心境になりました。緊急の処置だから、仕方の無い事かもしれないが家族の形はそれぞれある訳です。2DK一律にすると、家族の多い人には狭すぎるし、逆に一人世帯だったら広すぎるかもしれない。何処を見て平等にするのか、其れが課題になってくると思います。



別の世帯の引っ越し時は避難所にある荷物の運搬と津波被害にあった住宅からの荷物の運搬がありました。その住宅からの荷物の運び出しは中々、困難が伴いました。荷物の運び出しの前日に雨が降っており、屋根が無くなっていたその家は雨水を防ぐ手段はなく、ほとんどの家財道具は水気を含んでいました。やはり、水気を含むとどうしても重くなるので一つ箪笥を動かすのにも一苦労でした。そして、何よりも大変なのは汚れです。仮設住宅に持っていくのには当然、綺麗にしなければなりません。だけれども、其れを処理する施設も無いですし、それをボランティアがやるにしても人数が足りません。だから、どうしても仮設住宅の前に山積みにして被災者自身が少しづつ綺麗にしてくのが現状です。
仮設住宅は町屋の様に一続きになっています。目寸ですが、一世帯の玄関側から見た幅は約4メートル有るか無いかです。玄関の前から別棟までも約4メートルぐらいそのエリアに車が通れるスペースを確保しながら家財道具を山積みにしなければなりません。被害状況というのは一様ではありません。ですから、全く荷物すらない人もいる訳です。だから、共有スペースに荷物を置く訳ですし、皆に配慮した行動をしてトラブルが無い様にしなければなりません。何をするのにも皆さん気苦労が絶えません。



被災地を見ていて考えていた事があります。それはこの大きい被害が東京や大阪などの都市で起きた時、東北の人たちの様に立派な行動が出来るのだろうか?と。
都市に住んでいると、隣の人の顔も知らない事もよくあります。知らないもの同士が寄り集まっているカオスみたいなもので、何か問題が起きればただの烏合の衆になる可能性があります。都市は便利で快適で、煩わしい人間関係も取らない様に、合理的に生活しようと思えば好きな様に出来る訳です。でもそれは、同時に脆弱な地盤の上に生活している事を意味しています。スーパーで買いだめに走っていた光景を思い出すとやはり、不安を感じます。

2011/06/03

大阪府、君が代起立条例







この条例ほど馬鹿馬鹿しいものは無い様に思う。こんな中途半端なもの条例にするのだったら、いっその事、不敬罪でも復活させて起立しないやつを死刑にでもしたらどうだ。と筋金入りの右翼の人は言うと思う。

まぁ僕としてはどうでも良い。其れよりも気になるのはヒロヒトさんが、人間宣言してから一体何年経つだろうか。もう65年だ。それなのに未だに国歌の中に隠喩されている意味合いに対して右翼にしても左翼にしても過剰に反応する神経がわからない。右翼も左翼もただのヒステリーな集団達にしか見えない。右翼も左翼も高尚な議論をすべきだ。教師が国歌斉唱を起立しないのを政治家が真剣に議論する。左翼教師も政治家も茶番劇に一生懸命。なんと情けない。

大阪に住んでいたものとして恥ずかしい。大阪市と大阪府の二重行政の無駄を改革してくれるという期待から橋本派閥の政治家に投票してきたが、大阪では日本が大変な時にこんな条例を議論しているとは露程も知らなかった。日本は当然つながっている訳だから、大阪や西日本も色々、考えるべき事は他にたくさんある様に思う。

被災地にて[3] 






泥だらけになったアルバムの写真救出は繊細な作業だ。まず、アルバムの台紙から写真を剥がす作業から入るのだが、簡単には剥がれないものが多数です。なので、最初はアルバムごとぬるま湯に投入し、しばらくおきます。すると、粘着面がふやけて、剥がれやすくなります。アルバムの台紙から剥がすのはぬるま湯に入れることで劇的に作業効率が良くなるのですが、問題は台紙一枚ごとに被せてあるナイロンフィルムほうです。このナイロンフィルムがよく写真と癒着してしまっています。そして、画像面に被せてあるので剥がす時に画像ごと剥がれて駄目になってしまいます。この様に癒着した時には理屈としては、写真とナイロンの面は真空になっているので真空を無くしてしまえばいいのです。僕のやり方ですが、写真の端の方を犠牲にして少し剥がす。そして、その隙間にぬるま湯を投入し、少しづつ剥がすやり方で今まで成功しています。

剥がした後は一枚一枚の写真を綺麗にしていく作業です。この作業は、ぬるま湯ではやらないで、常温の水か、少し冷たい水でやります。ぬるま湯でやると、写真がふやけて、柔らかい状態なので、やはり画像を傷めるリスクが高いです。ですから、常温の水で出来ることならば素手で、指の腹を使い優しく撫でる様に汚れを落としていきます。この方法でも救出出来ない写真があります。それは、インクジェット、顔料のプリンターで印刷したものです、これらの写真はいくら繊細にやろうと、モノが弱過ぎて画像がボロボロになってしまいます。一方、フィルムで撮られた銀塩写真は元々が現像するプロセスに水を使う行程があるので、中々強いです。本当に大事な記念写真は銀塩写真かなぁと思います。
綺麗にした後は、洗濯バサミなどで吊るして、自然乾燥させます。乾燥させ、アルバムごとにまとめ、後は持ち主が現れるまで適切な場所で保管されています。

写真の保管所には引っ切りなしに人がやってきます。僕が、見た限りでは来た人は何かしらの思い出に繋がる写真を発見して持ち帰っています。まぁ、当然に何も見つからないで帰る人もいます。だけれども、毎日、アルバムは運ばれてきますし、まだ瓦礫の中に埋まっているものもあるので日々、足を運んでいれば見つかる可能性はあります。暗い話ばかりではなく、保管所は来た人の思い出話に華がさく場所でもあります。それに写真は発見された地区、エリアごとに整理されているので、思わぬ人同士の出会いもあります。「あー、○○さん。無事でよった。」という連絡の取れなったご近所さんとバッタリ出会ったりすることも度々あります。


写真という、一つのツールを巡るこれら状況は衝撃を与えました。写真の仕事や、作品をしていても、人にとって、写真と言うものがここまで大事なものであるのか、と改めて認識することになりました。そして、何よりも貴重な写真のほとんどは、名の知らぬカメラマンにより撮影されており、よりパーソナルであればあるほど、その写真は追憶へと至るのだと。

もしかしたら、写真と言うのは、人の記憶が拡張した一部なのではないのか?と思っています。皆が探す写真はやはり、故人の写真や故人との思い出が紡ぎだされる写真達です。人は沢山のことを記憶しています。と同時に沢山のことを忘れる性質もあります。故人のこと自体を忘れることはないが、時が経つにつれ、その顔をハッキリ思い出そうにも何となくしか出てこないものです。それが、写真を見ると、みるみる内に記憶が甦ってきます。

ある、おばあちゃんの依頼で、敷地内の瓦礫を撤去していたらば、アルバムを発見したことがありました。おばあちゃんにアルバムを届けると、何故か、僕も一緒に見ることになったのですが、お見合いで結婚してから第一子が生まれるまでの期間の歴史が詰まっているアルバムでした。

おばあちゃんの家族は地震とか、津波では大丈夫だったそうです。が、旦那さんを地震の五年ぐらいに前になくされたそうです。なので、家が流されてから、何か思い出の写真が無いか探していたみたいでとても喜んでいました。アルバムを見ながら、色々記憶が思い出されたみたいで、写真を指差しながら、遠くには行けなかったけど楽しかった新婚旅行の話とか、旦那さんは釣りが上手かった話とか、姑の愚痴とか、子供が生まれて、巡業に来た横綱の大鵬に抱っこしてもらったことなどなど、昨日のことを語るかの様に色々話してくれました。

次々と記憶が溢れ出すおばちゃんを見ると、アルバムの存在意義を感じました。アルバムは普段は場所取るし、面積とるし、生きている分スペースを取るものです。だけれども、邪魔だからといって捨てようかと思うと中々、気が引けて出来ないものです。この気が引ける気持ちを感じるのは直感的にも人間にはアルバムを見て、過去を振り返る時期というものが何時かしら来ることを予期しているのかもしれません。

隠蔽は知らず知らずに自ら。

「パリで数週間に五千名の死亡者を出したインフルエンザの大流行も、さして民衆の想像力を動かさなかった。事実、こういう真の大惨事も、何か人の目を引く心象によらずに、もっぱら毎週報告される統計によって現されたからである。同じ日に、広場で、例えばエッフェル塔からの墜落と言うような、明らかに人の目を引く事件のために、五千名の代わりにわずか五百名の死亡者を出す椿事が出来したと仮定すれば、これは、想像力に甚大な印象を与えたにちがいないのだ。‥‥‥‥・中略‥‥‥‥従って、民衆の想像力を動かすのは、事実そのものではなくて、その事実の現れ方なのである。」(群衆心理/ギュスターヴ・ル・ボン著/講談社学術文庫/p86より抜粋)


私たちが信じ込むものは、実は、事実よりもその現れ方でなのである。それは、マスコミで言うなれば、事実の悲惨さよりも、映像に残っているかどうかによって心に刻まれると言う事だ。

事実の当事者でない限り、多くの事実は情報として伝達される。世界では、悲惨な事が無数にあり、其れが日々、情報として我々の元に届いている。だが、それら事実は間接的に行き過ぎ、ほとんどリアリティすら感じずに多くの事は忘却されていく。

民衆を動かすのはインパクトだ。それに華を添えるのは映像だ。そして何より派手で、過激で、悲壮である事がインパクトだ。事実とは事実の悲惨さではない。如何に悲惨な状態が目に見えてくるか、現れてくるか其れが問題なのだ。

9.11での死者は2749人、現在、イラク戦争での死者状況は10万1千人代であり、そして、まだ増え続けている。事実として悲惨なのはどちらなのか?当然、悲惨なのはイラクだ。

自分の胸に手を当てて、気持ちを素直に言うならば、どこかで、イラクの悲惨さにはリアリティを感じないのだ。それよりもやはり、9.11の方が映像により劇的なまでの悲壮が何時までも残っており、実際にその事が有ったのであると、事実を直接的に接していない人にとって事実を認識ができるのである。イラクでの殺戮は殺戮であるのにも関わらず、私たちには統計と数でしか伝えられず、心には刻まれないのだ。

僕だけが愚かであると、愚かであるからリアリィティを感じていない。そう考える向きも出来るかもしれない。だが、事実のリアリティの不在は誰にも起こりうる事であり、現に現在、私たちは其れに遭遇している。

遭遇している事、其れは言うまでもなく、原発の問題だ。

日々、放射性物質は降り続けている。この事実を私たちは、この見えない恐怖に何れだけのリアリティを感じているだろうか?漠とした恐怖を感じながらもリアリティのない実態。毎日、報告される地域ごとの放射線量値。もうまるで、天気予報かの様な状態で感覚が麻痺してはきませんか?

人間の五感には感知する事が出来ないこの物質は、人間に取って一番危険なものだ。それは現れてこなければ事実として認める事が出来ない人間に取って悲惨でありながらも忘却されていく皮肉を抱えている。
それに加えて、未来と言う事も人間にとってリアリィティを感じない事だ。だから、未来に向けての行動と言うのは出遅れるし、意識してはいても後回しにしてしまうものだ。

子供達は未来の象徴である。そして、この先何十年も生きていかなければならない。これら未来にたいして、私たちは責任ある行動をしているだろうか?

どうだろうか、街へ出れば、原発事故から直近ではあんなにもマスクをしている人で、溢れていたのに誰がしているだろうか、雨の日には子供達が傘もささずに駈けって行く。むしろこれらは日常の光景だった。体調が良ければマスクはしないし、子供は雨に傘をささない。だが、その日常達は、今は違う。見えなくとも確実に毒が漂っているのだ。私たちは政府、東電の言葉を信じてしまってよいのだろうか。

この緊張感の無さ、国民の健康を守るより、国民のパニックを阻止し、秩序を守ろうとする政府。私たちは、それら言明、妄言を黙認し、東電の事実を小出しにする記者会見の罠に私たちは慣れてしまった。これら茶番劇はまるで私たちとは関係ない所で行なわれているかのような感覚で見てしまう。もはや、怒りすら感じず。本当に知りたいことに対して諦めかけている。そして、原発を忘れ日常に戻る。

事実は隠蔽されているのか、或は自ら忘却し、隠蔽を結果的に容認しているのか。それは、どちらにしても一緒である。私たちが請求し続けない限り事実が明らかにならないのであるならば、其れを諦めたときは私たちは未来の世代達に対して、事実を隠蔽した言うことには変わりはないのだから。




「100000年後の安全」と言う映画が全国の一部映画館で上映されています。原発の事実を忘れないためにも見たい映画です。

2011/05/30

くだらない話だが、日本流動食化現象

由々しき問題だ。読みたい本が無い。(とある書店にて。)


○○億円の稼ぎ方とか、節約術、○○代にしておくべきこと、超訳ニーチェ、超訳ブッダとか何何入門ばかりである。この国の国民の頭脳はどうした?と、書籍の名前を見ただけではそう思ってしまうほどの、お粗末な状況だ。だが、国民の問題ではなく、恐らく多くの書店、出版社が相当、読者をなめているのだろう。かなり、規模の大きな書店にでもいかない限り、ろくな本に出会わない。

発行部数は増え続けているが、購買数は減り続けている出版業界は、このままの価値のない書籍を出し続ければ間違いなく立ち往生する所が出てくるだろう。まぁ逆に言えば、淘汰されより良い読書環境が作られる可能性も無くもないが‥‥。

わざわざ、この時代に本を買い、読書し得ようとする体験に何を人は期待するのだろうか?多くの知識、情報が半自動的に流れている、この時代に不便な読書をする人が求めるものとはなんだろうか?その事を出版社は考えて本を出したらどうだろうか?

読書は受動的ではなく、能動的である。

少なくとも、私は固い者を噛みたいのだ。固いものを噛んで柔らかくして飲み込む。つまり、自分で解釈して理解する事をしたい。今の書物はまるで、流動食のようで既に噛み砕かれドロドロに成っていて何処にも自分で解釈するところがないのだ。自由も無い。難しいという固いモノを噛み砕き、固さを見ながら反芻し、得られる理解を僕は読書体験に求める。

そこで得られる理解は他読者と違う解釈、理解であっても良い。噛み方は人それぞれだ。ゆっくり噛み砕き作者の意図を深く理解する人もいるし、早食いでよく噛まないで消化不良を起こす人も居る。解釈と理解が人により異なる事、其れが自然だ。

良い例とは言えないがヒットラーがニーチェの思想に触れ、選民思想へ走り出し、第二次世界大戦へと突入し、アウシュヴィッツと言う語に象徴される悲惨な歴史を残した。だが、皆がニーチェを読み、選民思想だとは思わない。実際に僕には思えない。持ち出した例はイマイチだが、其れは読む事で得られる事に違い、或は広がりがあると言う証明ではないか。とくに簡単に読めないものには。

だが、how to 本やら、超訳にそんな本は解釈の多様性の可能性はほぼ皆無だ。一つに集約するものであり、広がりが無いのだ。読書好きには今の書店に行くと目を塞ぎたくなる。そんな現状を嘆く人は多いと思う。

まぁ、兎に角、流動食はご免だ。歯を使いたいのだ。

2011/05/25

被災地にて [2]

人間は平等ではない。

と、そんな事を瓦礫を撤去しながら思う事がありました。

津波の猛威は山並みに生えている木々にハッキリと痕跡を残している。津波の到達した所では塩害により木が立ち枯れているのです。遠景で見るならば、痕跡を木々の枯れていく茶褐色のラインとして境界線を見て取る事が出来ます。

其れは何も木々の話だけではなく、人々の住む所にも同じ様に境界線を作ってしまう事もある。数メートル上に家があるか、無いか、其れが大きく運命を分けてしまうのです。そして、住まう土地が同じ高さで津波が同じく猛威を振るったとしても、その家族によって、或は個人個人で運命が違ってくる、そんな事にも境界線があったりするのです。









出会ったある男性はこんな経験を話してくれた。


3月11日午後2時46分頃。

昼寝をしていた彼は、激しい揺れと食器が崩れ、割れる音で目を覚ました。寝ぼけながらも、尋常ではない事を悟り、よろけながら外へ飛び出したそうです。
外に飛び出すと、彼は庭で腰を抜かして身動きがとれなかった。地震は相当強く、腰をついているのにも関わらず体制を維持するのが難しかった。

長い地震が終わった。彼はしばらく庭で腰をついたまま放心していた。

彼はハッとして、寝たきりの妻が家に居る事を思い出した。そして、家の中に駈け入ると家の中は案の定グチャグチャでした。それでも、彼の妻は怪我も無く無事でした。

彼はホッとしながら、グチャグチャの部屋の片付けをし始めました。数分すると津波警報のサイレンが鳴り始めました。でも彼はサイレンを無視して片付けをしていました。

彼の家は少し小高い所の斜面にあり、明治の津波が来た時も、昭和の津波も被害が無かったそうで彼は津波はここまで来ないだろうという意識があった。それで彼は避難せずに、片付けを続けたのだ。


午後3時未明。

数十分片付けをして、窓に目を見やると異様な光景が窓から見えた。何時もは防波堤で見えない筈の海が、防波堤の遥か上に盛り上がって見えていた。彼はただ事ではないと思い。もっと、外でハッキリ見てやろうと外へ出る。

外へ出て、防波堤を見ると、もう既に防波堤を超えて水が流れ込んできていた。そして、けたたましい騒音とともに遠くに見える家が流れ始めた。大丈夫だと思っていた彼もその光景に恐怖を感じ、妻と逃げようと家に入る。妻を抱き起こし、運ぼうとする。だが、とても一人では運び出せなく苦闘していた。すると、見る見る内に黒々した水が家に近づいてきた。もう駄目だ。妻に後ろ髪引かれながらも、無我夢中で裏山へ駆け上がった。

裏山へ駆け上がり、家の方を見ると、自宅も、生まれ育った街も、思い出も、真っ黒な水で何も見えなくなっていた。

押し寄せていた黒々した津波の水は、やがて、更に轟音を増しながら海へ引こうとしていた。ゴーゴー、ガチガチ、ゴトゴトと何とも言えない凄まじい轟音を立てて、あらゆるモノを飲み込み、かき混ぜ、渦を巻きながら津波は去っていった。



彼は、土台だけを残し、消えてしまった我が家の前に立った。そして、涙した。何よりも長年連れ添った妻を助けられなったことが悔しかった。

それから、どこかでこの現実を受け止める事が出来ず三日間、瓦礫の中で妻が生きている事を信じて探し続けた。そして、この三日間が地獄であった。探している間に、誰とも知れぬ死体を多く発見した。それは何も死体が死体として転がっている状況だけではなく、体の一部分だけが発見されたり、ただ肉の塊として発見される事もあるのだ。やがて、瓦礫を除けて探す事が怖くなった。

四日目には疲れ果てて、彼は探す気力も無く自然と遺体安置所へと足が向かっていった。

遺体安置所にいく事もとても疲れる。設けられた遺体安置所は初日から相当数の死体で埋められていた。性別も年齢も様々な子供から老人までの遺体が整然と並べられている。

妻は中々、発見されずに彼は何日も妻の遺体を探すために遺体安置所へ通った。来れば、必ず遺体は昨日よりも今日と確実に数が増えてゆく。そして、新しい遺体を確認する。

結局、彼の妻は隣町の遺体安置所で発見された。そして、火葬場は空きがなく、土葬される事になった。




彼は言った。「そんだけども、状況は色々だ。上の人は家も無事で家族も無事。下の人は家流されたけど、家族は無事。隣の人は家も一家も全て無くなったみたいだ。津波が来てからまだ誰も隣の人を見ていない。ほんと、人それぞれだ。自分が大変な立場なのかどうかも良く分からなくなる。まぁ、今は命があるだけでいいと思って納得している。そう思わなければ前に進めないし。」

2011/05/15

被災地にて

 東北は長い冬を越えて新緑が萌えています。

今回の地震でボランティア活動するまで、こんなに長期間、東北に居た事はありませんでした。

辛い冬を越えた東北はこんなにも美しい所であったのか、其れは新たな発見でした。桜、菜の花、そして冬の辛い名残で雪化粧した山脈。東北の春は一気に解放され、壮大な光景を生み出しています。山には広葉樹林が多く其れが春の到来をより強調しています。




自然が春を謳歌している東北地方だが、三陸沖を海沿いに車を走らせると、二ヶ月経った今でも津波による悲劇、生々しい傷跡が目に飛び込んでくるのだ。

自然が淡い新緑や華やいだ花々で彩られている中、ヘドロに塗れた瓦礫の山々がリアス式の複雑な地形に沿って山積している。華やかな彩りの中にある瓦礫がコントラストを生み出しており、より悲惨さを感じるのである。

その場所に留まろうとする人たちは今でもなお、日夜、ヘドロから自分の生活を取り戻そうと苦闘しているのだ。









岩手県釜石市の箱崎半島にある一部の漁村では、一軒の老夫婦しか残らなかった。その家は入江の一番奥に位置していた。それでも津波の猛威は家の一階部分の家財道具を一切合切さらっていってしまった。

その老夫婦はしばらくの間、避難所で生活した後、また自分の家に戻ってきた。

彼らは、失意に満ちていた。老夫婦の老男は、

「家が無くなってしまっていたら、諦めもつくが、立派に立っているから、ここで生きてく事に決めた。だけど、息子夫婦も孫も津波に持っていかれてしまった。ワシら年寄りしかいないし、他の村の人は全部無くなった。これから村の復興などは望んでも居ない。ただ、生活を出来る様になるのを望むだけだ。後は、どうでもいい。」

そして、「水道、ガス、電気そんなもの無くても生活出来る。モノもまた作ったり、買ったりしたらいい。ワシらはそんなものの無い時代に生まれたから。そんな不自由は大丈夫だ。だけど、この目障りな瓦礫から解放されたい。そして、二度と命は戻らない事、其れが何よりも悲しい。」 そう言いながら老男は、曲がった腰を引きずりながら自分で決めた瓦礫の集積所へ、何処の誰のモノか分からない便器の便座を放り投げた。

  


実際に、直接的に被害を受けていない者が被災者に対する時や或は、話をする時、私はなんと声をかけたら良いか分からなく、頭が真っ白になってしまうときがある。被災者の体験が壮絶であればあるほど、励ましの言葉など滑稽過ぎてしまうのだ。いくら、関係のない者が形式的な励ましの言葉を掛けても意味は無い。ただ、私には話を聞いて相づちを打ち、被災者が語りたがっている体験、想いに耳を傾ける事しか出来ないのだ。

時として、被災者の語る言葉に耳を傾けていると、突如に被災者が今まで塞き止めていた辛い事や気持ちが、たがが外れて、吹き出すときがある。泣き崩れながら、体験を話してくれる。この時、決して話を止めてはいけない。全てを聞いてあげ、受け止める。すると、「兄ちゃんありがとう。何か気持ちがすっきりしたよ。」と大体の人はそう言う。何も私自身はしていない。たけどそれだけでいいと思った。

老夫婦に面したときも私に出来る事と言えば、話を聞く事しか出来なかった。津波が、信頼していた防波堤を越えてきた時の恐怖、遺体安置所で見た息子、孫の姿、誰の者とも知れない腕が転がっていた事。全てに絶望した事。ただただ、聞く事しか出来ない。

たが、人間というのは不思議なもので、辛い話ばかりでは続かない。

話は何時の間にか三陸沖の漁場の豊かさ、自分の村の魅力などに話が変わった。そして、漁師としての生き方を話している時には老男の顔に浮かんでいた失意が幾らばかりか、薄らいでいる様に見えた。

その後、老男と瓦礫の中から一緒に拾い上げた釣り竿を手に釣りをしにいった。この状況下で自分の飯を釣り上げようとする老男の姿には漁師のプライドが見えた。

2011/04/12

御用学者たちよ

「何で今さら」。福島第1原発事故で11日、政府が新たに「計画的避難区域」の対象にすると発表した福島県の飯舘村や葛尾村、浪江町の全域と川俣町と南相馬市の一部。住民らはこれまで高い放射線量の中で不安な生活を続けていた。(産経新聞)








この状況の中まだ、御用学者達はテレビで、騒ぐほどの健康被害は無いと嘯いている。






「周知のとおり、科学者もテレビ伝道師や政治家同様、権力やお金の誘惑によって墜落しかねない。科学史の大半も、宗教史と同じで、権力とお金が引き起こす争いに満ちている。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥科学と歴史のどちらにも、様々な様式や目的を受け入れるだけの余地がある。科学の超越性と社会史の現実との間に必然的な矛盾というものは無い。科学においては最終的決定権は自然そのものが握っていると信じつつも、その権利が行使される前に、科学の実践面で人間の虚栄心や不道徳が非常に大きな役割を演じると認める事も可能だ。歴史家の仕事は力とお金の隠れた影響力を暴く事であると信じつつも、自然界の諸法則は権力やお金によって曲げたり損なったり出来ないと認めることもかのうだろう。私にしてみれば、科学史が最も啓発的に思えるのは、人間という行為者の短所が自然界の諸法則の超越性と並置された時だ。」

フリーマン・ダイソン著 「叛逆としての科学」 抜粋



テレビで政府と東電の言いなりになり隠蔽に加担している御用学者達よ。あらゆる事を誤魔化しながら発言しているが、結果はいつか出るのだ。

あらゆる諸法則はその通りに進む。隠蔽しても隠しきれないのだ。科学者であるアナタ達は本当はその事分かっている筈だ。


であるのにも関わらず、何故隠すのか? 



其れは武田邦彦教授いわく、http://takedanet.com/2011/04/post_eeab.html からの抜粋


1990年の始め、「役に立つ研究」、「研究費の重点配分」になってから、学者は「すこしでも政府にたてつけば、来年から研究費がなくなる」という恐怖に身がすくんでいる.

その意味では、日本の学者の大半が「御用学者」にならざるを得ないのが現状で、学問の危機を目にしても行動ができない。」



確かに現状の政府と研究機関間のあり方は諸外国の現状に比べると、異常である。箱ものには予算をつけ無駄遣いしたい放題するのにも関わらず、未来への投資となると凄く渋るのだ。まさに享楽志向であり、短絡的な思考で国を運営している事は明らかです。(政府はある意味で国民の反映したものであり、鏡でもある。)

学者も飯を食わなければなりません。多少、気持ちも分からなくもないです。

しかし、この緊急時に、しかも人命に関わる事に関して研究費と人命を天秤にかけている学者は最早、人間ではない。と言わざるおえません。

政府も学者も本当に未来の事を考えているのか?疑問がつのるばかりです。



2011/04/11

管総理に贈る言葉

知るを知るとなし

知らざるを知らずとなせ

これを知るなり

孔子「論語」



管よ。原子力の専門家だと嘯くなかれ。対応を見れば素人まるだしではないか。

2011/04/10

ニュースの深層 4月8日「これからの福島第1原発と放射能汚染」






武田邦彦氏
  • 中部大学 教授  (所属: 総合工学研究所)
  • 高知工科大学客員教授,多摩美術大学非常勤講師、
    上智大学非常勤講師
    内閣府原子力委員会専門委員、同安全委員会専門委員
  • 文部科学省科学技術審議会専門委員
  • 名古屋市経営アドバイザー、名古屋ウェストライオンズクラブ会員
  • 日本工学教育協会特別教育士、シニアー創造学院客員教授、 青森県鰺ヶ沢町顧問、うるま市アドバイザー,(株)ユーテック顧問
    富山環境顧問
    旭化成工業株式会社・社友、 芝浦工業大学・名誉賛助員 名古屋大学高等研究院・院友

2011/04/09

Aron Wiesenfeld









人間の暗い側面を表現し続けるアーティストです。絵の中に登場する人物の背負っているものは何なのだろうと想像させる作品を描きます。






Aron Wiesenfeld    アメリカ在住のアーティスト。

「革命か反抗か」からの触発

正義の名の下の暴力が許されるのだろうか?

目的が正義だからと、暴力が正当化されていいのか?





この疑問は多くの人が心の中に存在していると思う。

僕がこの事を疑問に思ったのは9.11の事件後のアメリカ軍によるアフガニスタンへの攻撃が行われた時だった。そのとき高校生だった僕は、アメリカ軍の爆撃によりテロリストか民間人か分からない人たちがほぼ無差別に殺されていく映像を見た時に、非常に違和感を感じた。確かに9.11はショッキングな事件だったし、ある程度の報復はしかるべきとその当時は思っていました。
だが、日々、アメリカ軍による誤爆の映像、一般市民を巻き込んだ爆撃の映像を垂れ流しているのに関わらずメディアやアメリカ市民からモラルに対する批判が出なかったのが不思議であった。いくら、報復とはいえやり過ぎだ。人間的な感性を持っているならば自然にそう思う筈だ。


歴史というのは勝者の描いた話である事は皆さん知っていると思う。歴史の中では戦争に勝つ者が善であり、敗者は悪である。

アメリカと日本との戦争では、アメリカが勝者であって日本が敗者。敗者である日本はアメリカが行なった非人道的行為に対して何一つ問う事は出来なかった。

本来、戦争とは兵士と兵士が殺し合う。その兵士同士の戦いで軍事力、国の力を決めるものだ。そして、双方のどちらかが、負けを認め降伏したとき戦争が終わる。

しかし、アメリカは何時もタブーを犯す。アメリカは常に戦争の中で一般市民を殺戮するのだ。ベドナム戦争の時は兵士がゲリラ化し、兵士と市民の見分けがつかず、無差別に殺した経緯があった。日本の場合そのような事情も無く、明らかに市民に対して空襲をしている。そして、惨い事に二発の核兵器を多くの女性、子供しか居ないのにも関わらず広島と長崎に投下したのである。



これらが正義だからといって正当化されるべきことでしょうか?

戦後の日本教育では戦争責任は日本にあると私たちは教わってきました。確かにそうです。日本にも責任はあります。しかし、アメリカの犯した戦争犯罪に対して戦時国際法違反への追求をしては不味い風潮はいけない。戦争に負け敗者になったからと言って間違っている事に対して、口を噤むべきではないのです。そして、戦争責任についても敗者だけが負うべきモノでなく戦争に関わったもの全てが負うべきです。人間の歴史上の負の遺産なのですから。

残念ながら善と悪というのは勝者により決められる。今のままではアメリカのやり方が善であり、資本と力が支配するこの世界では変えられぬ事実であります。


本質的に正しい事に目を背け、間違った事に対して口を噤む。この事が唯一、国家間、一般社会においても上手く生きる処世術となっている。この事を多くの子供が見て育ち大人に成っていっている事を私たちは意識せねば成りません。

そのような子供が大人に成ったらどうなるか?共同体の暴走を止める事が出来ずに、また大きな戦争を起こす可能性があります。

戦争においては勝者も敗者も同等の責任がある。正義か悪かという二元論に話をすり替えずに根本的な悪である暴力を如何に無くすか、其れに向かって人類は歩みを進めるべきなのです。






これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル)

という書籍が多く売れています。内容は別にして正義について考える契機がアメリカ国民にも与えられた事は非常に良い事です。



2011/04/08

立つ位置

立つ位置で見え方が違う。

そんな事は自明であって、子供にも分かる事実である。だが、この誰にも分かるはずの、この事実を私たち人間は理解した事があったのか?最近それが謎で仕方ありません。

人間は動物の中で唯一殺し合う動物です。憎しみであるとか、或は不都合であるという理由で故意に同種で殺戮し合う動物は人間だけです。

立つ位置が違う人たちがお互いを理解し合うのには相手の立つ位置を想像する。非常に単純なことです。その事を本当に理解していれば少しは善処の方向へと行く筈なのですが。

2011/04/02

ALEX FISCHER

























ALEX FISCHERはトロント在住のアーティストです。彼の作品は様々なソースが複雑に絡まり複合的構成されている作品です。

様々な技術が複合的に絡み合う都市かの様に彼の作品は制作されています。作品に登場する人間のイメージも現代人の超出した現実を表現している。

僕は評論家ではないので、作る者の視点から見方です。

その作る者からの視点で一番興味深いのは彼の作品の飛躍の仕方です。
幸いにも彼のホームページには古い作品も掲示してあります。(下に彼のページのリンク貼付けてます。)古い作品を見ると正直に言えば、個性が無く表現者としては居ても居なくても一緒です。
今の作品もベーコンの影響も見て取る事も出来ますが、そのベーコンも彼の一要素になっている。その事は彼の作品を古い順から見ると分かります。

2010年の彼の作品は明らかに飛躍しています。2008年頃から少しづつ変化し’10に一気に花開いた感じです。この流れを見ると一人の表現者が如何に成長するかがハッキリと視覚化されていて興味深いです。彼の自分の壁をぶち破る前と後での作品を比較しながら見ると大変、勉強になります。



Education
Prospective 2012. 2010.
MVS University of Toronto BFA
Honours York University
 Solo Exhibitions 2010. 2009. 2009.
Smarter Today, O'Born Contemporary, Toronto, Ontario Alex Fischer, The Spoke Club, Toronto, Ontario Backwater Resolution, The Gales Gallery, Toronto, Ontario Select Group Exhibitions 2010. 2010. 2010. 2009. 2009. 2009. 2009. 2009. 2009. 2008. 131, O'Born Contemporary, Toronto, Ontario Racing Thoughts III, Propeller Centre for Visual Arts, Toronto, Ontario To Whom It May Concern, Gallery 1313, Toronto, Ontario Facing The Screen, University of Toronto Art Centre Lounge, Toronto, Ontario Hot!, O'Born Contemporary, Toronto, Ontario Resolution, Median Contemporary, Toronto, Ontario This is not a bout, Special Projects Gallery, Toronto, Ontario Emerging Artists Exhibition, The Arts & Letters Club, Toronto, Ontario Play/Pause, Whipper Snapper Gallery, Toronto, Ontario Peinture fraîche / Fresh Paint, Art Mur, Montréal, Québec Artist Projects 1999 - Present. 2009. 2009. 2007 - 2009. Art of Alex Fischer www.artofalexfischer.com. Web. Synthesis, BlackFlash Magazine, 27.1, Fall 2009. Print. Sync Resist, Chief Editor and Juror for magazine publication, Fall 2009. Print. The Oxford Hotel, Artist-Run House Venue, Toronto, Ontario. 






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2011/03/30

 「ラ・ジュテ」 クリス・マルケル

第三次世界大戦後の未来。核戦争により地球は核で汚染され、人間は地下生活を余儀なくされた。その未来である男が過去へとタイムトラベルする。いわゆる、SFである。

この作品との出会いは大学生の時だった。友達に紹介され、大学の映像資料で見たのが最初だった。友達はおもしろいSF映画だからとテンション高めに薦めてきたのだが、あいにく僕はSFは好きではなく、あまり興味はなかった。でも、感想を聞かせてと友達に言われていたので嫌々見たのでした。




映像資料室で見た瞬間に友達に感謝しました。そして僕は、「ヤバい、ヤバい」と他の人の目も気に留めず連呼していました。

まず衝撃を受けたのが全編スチールカットであった事です。僕は写真をやっている事も有りかなりの衝撃でした。1962年にこんな前衛的な事をしている事に悔しさすら覚えました。監督のクリス・マルケルは写真家でもあるので一カットのクオリティが非常に高いのです。


一コマが約2、3秒間隔で進行していく。よくクレイアートのアニメショーンが写真をコマ送りで、映像にしていますが、それとは違っていて一コマが長いのです。激しい動的表現ではありません。

それでは、パソコンの中で写真を観るときスライドショーみたいな物かと思われてしまうかもしれませんが、それとも違うのです。
その当時、写真をスライドショーの様にするのにもパソコンは当然ありませんでした。だからプリントして完成された焼きの写真をまた、映像のカメラで撮影してやったうえで映像化していました。
その手法だと、映写機の60分の1秒の回転で送られるフィルムの揺らめきが写真に投影されます。その揺らめき、ブレが人の写真の時に顕著ですが、写真が生きているかの様に見せるのです。写真と映像との中間という何とも言えない世界観があります。


映画を通してあるのは記憶というテーマであり、映画の多くの部分は追憶の中で展開されていきます。この記憶というテーマが観る物にノスタルジックな想いにさせてくれます。SFでありながらノスタルジックという不思議な映画です。




29分という短さなのでyoutubeみれてしまいます。

2011/03/24

ルネ・マグリット / Rene Magritte

初めてマグリットを見たのはもう10年以上前になる。小学校低学年ぐらいだった

(陵辱)

冬のある日、学校が早く終わり、何時も遊ぶ友達は風邪を引いていて暇だった。親も留守でボーっとしていた。あまりにも暇だったのか、何気なく普段見ない本棚をあさり始めた。そして、マグリットに出会った。
無作為に広げて最初に飛び込んできたのが「陵辱」と言う作品だった。小学生の私は何か見てはいけない物の様に感じた。とても不思議な感覚だ。どう見ても顔なのに見てはいけないもの。顔なのに恥ずかしい。これは何なのだ?という気持ちが揺さぶられる感じがした。今思うとこれがアートの衝撃と言うのかなぁと思う。

(裸体)




(鏡)


(恋人達)




(光の帝国)

一体、何がアートの衝撃なのだろうか?

やはり、このアンビヴァレントなこと。相反する物の同居だろうか。所謂ディペイズマン。人間自身もまたアンヴァレントな存在であり、マグリットのアートの衝撃は人間の根源的な所へと訴求だろう。

(これはパイプではない)

シュルレアリスム自体が意識の介在出来ないむき出しの人間の表現であった。マグリットもシュルレアリスムの担い手の一人として歴史に名を残している。歴史的に見ても人間の根源性への訴求はあながち間違いではない。

マグリットはしかしながら、他のシュルレアリストとは異質である。他が無意識、偶然性、夢だとすると、マグリットは思考への呼びかけと神秘だ。

(これはパイプではない)は思考への呼びかける。一体これは何だろう?そして、その謎が解けたときコペルニクス的転回とでも言うべき新しい世界への扉を開いたとき神秘へとつないでいる。






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