2011/03/21

岡本太郎という人間

今年は岡本太郎生誕100周年を迎えて書店で書籍や作品集を最近よく見かける。言うまでもないが、「芸術は爆発だ。」とか大阪の万博公園にある太陽の塔でお馴染みの人である。



実は彼はテレビとかでは、変なおじさんみたいなイメージを植え付けられてしまったが、非常に志しの高い芸術家でありました。

nhkで岡本太郎のドラマをやっているらしい。とても彼の人生は数時間のドラマに収まる訳は無い。と僕は思ってしまう。彼の人生はとても波乱に満ちていたし、皆は天才と呼ぶが、彼の書籍を読むと、孤高の天才と呼びたくなる。非常に孤独で孤高な天才。

岡本太郎がパリへと辿り着いた時、パリでは19世紀の芸術から20世紀の芸術への転換期であり、価値の転換期であった。所謂芸術でのコペルニクス的転回が行われた。彼はその転換期の真っただ中におり、ダダ、抽象芸術運動に参加していました。彼の交遊はピカソ、バタイユ、ブルトン、ルオー、マグリットなど挙げれば切りが有りませんが、今の芸術を語るときに重要な人たちばかりですが、運動やカフェで議論などしていたようです。

経歴を見ると華々しい様に思われる方が多い様に思いますが、順風満帆ではないです。貧乏とかそんなレベルの低い苦労では有りません。非常にレベルの高い悩みで有りました。

彼は作品を作りたいと言う強い意志を持っていながらも10年以上も一枚も絵を描く事が出来ませんでした。27〜37歳までの途中に戦争も有ったみたいですが一枚も描く事が出来なかった。それは非常に苦しい状態です。何かモノを作る人は常に壁にブチ当たります。そしてその壁をぶち壊すのに凄く苦しみます。これはモノを作る人にしか分からない苦しみです。それを10年もひたすらに壁をぶち壊そうと言う挑みには唖然とするばかりです。

その10年もの間、彼は比較人類学、民俗学の本を熱心に読んだりしていたみたいです。そして、こんな事をして果たして将来に役に立つのか、立派な大人なり飯を食う事が出来るのか、そう言った不安とも葛藤する事も有ったみたいでした。でも自分は作品を作りたいけど、作れない事と闘い続ける事しか出来ない。闘いを続けながらも、知の好奇心の赴くままに書籍を読みあさる生活を続けたそうです。

この10年の停滞期ともいえるこの時期が彼の作品に大きな影響を与えた事は言うまでもない事だと思います。民俗学への興味が日本の土偶への出会いであったで有ろうし、比較人類学で様々な文化を比較しながら、自分自身に宿る太古からの日本人性の発見にも繋がっていったのだろう。




しかし、日本へ来てからは、日本の性質が彼の才能を伸ばすのに邪魔をした様に思います。今の日本も昔とあまり変わりませんが、職人的な芸術家が多く、それらが派閥を作り、本当の芸術家を阻害している。岡村太郎自身の言葉でもありますが、「師匠と弟子の関係のいやったらしさ。」こういった言葉から色々と読み取れますが、芸術界を取り巻く人災とも言えるようなものに阻まれていたのだろう。

岡本太郎は幾つもの障害と真っ正面で闘い、人生で対極主義を貫いた人間だとおもう。





「今日の芸術」を読むならば、現在の問題を論じているかのような心持ちになります。真っ直ぐ芸術に向かっていく人にとっては時代に関係なく心通じるものが有ります。何時までも読み継がれるべき名著です。



asaji photo office

1 件のコメント:

  1. 岡村太郎ではなく岡本太郎です。
    岡村太郎は実在します。
    訂正をお願いします。

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