(陵辱)
冬のある日、学校が早く終わり、何時も遊ぶ友達は風邪を引いていて暇だった。親も留守でボーっとしていた。あまりにも暇だったのか、何気なく普段見ない本棚をあさり始めた。そして、マグリットに出会った。
無作為に広げて最初に飛び込んできたのが「陵辱」と言う作品だった。小学生の私は何か見てはいけない物の様に感じた。とても不思議な感覚だ。どう見ても顔なのに見てはいけないもの。顔なのに恥ずかしい。これは何なのだ?という気持ちが揺さぶられる感じがした。今思うとこれがアートの衝撃と言うのかなぁと思う。
(裸体)
(恋人達)
(光の帝国)
一体、何がアートの衝撃なのだろうか?
やはり、このアンビヴァレントなこと。相反する物の同居だろうか。所謂ディペイズマン。人間自身もまたアンヴァレントな存在であり、マグリットのアートの衝撃は人間の根源的な所へと訴求だろう。
(これはパイプではない)
シュルレアリスム自体が意識の介在出来ないむき出しの人間の表現であった。マグリットもシュルレアリスムの担い手の一人として歴史に名を残している。歴史的に見ても人間の根源性への訴求はあながち間違いではない。
マグリットはしかしながら、他のシュルレアリストとは異質である。他が無意識、偶然性、夢だとすると、マグリットは思考への呼びかけと神秘だ。
(これはパイプではない)は思考への呼びかける。一体これは何だろう?そして、その謎が解けたときコペルニクス的転回とでも言うべき新しい世界への扉を開いたとき神秘へとつないでいる。
asaji photo office
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