人間は平等ではない。
と、そんな事を瓦礫を撤去しながら思う事がありました。
津波の猛威は山並みに生えている木々にハッキリと痕跡を残している。津波の到達した所では塩害により木が立ち枯れているのです。遠景で見るならば、痕跡を木々の枯れていく茶褐色のラインとして境界線を見て取る事が出来ます。
其れは何も木々の話だけではなく、人々の住む所にも同じ様に境界線を作ってしまう事もある。数メートル上に家があるか、無いか、其れが大きく運命を分けてしまうのです。そして、住まう土地が同じ高さで津波が同じく猛威を振るったとしても、その家族によって、或は個人個人で運命が違ってくる、そんな事にも境界線があったりするのです。
出会ったある男性はこんな経験を話してくれた。
3月11日午後2時46分頃。
昼寝をしていた彼は、激しい揺れと食器が崩れ、割れる音で目を覚ました。寝ぼけながらも、尋常ではない事を悟り、よろけながら外へ飛び出したそうです。
外に飛び出すと、彼は庭で腰を抜かして身動きがとれなかった。地震は相当強く、腰をついているのにも関わらず体制を維持するのが難しかった。
長い地震が終わった。彼はしばらく庭で腰をついたまま放心していた。
彼はハッとして、寝たきりの妻が家に居る事を思い出した。そして、家の中に駈け入ると家の中は案の定グチャグチャでした。それでも、彼の妻は怪我も無く無事でした。
彼はホッとしながら、グチャグチャの部屋の片付けをし始めました。数分すると津波警報のサイレンが鳴り始めました。でも彼はサイレンを無視して片付けをしていました。
彼の家は少し小高い所の斜面にあり、明治の津波が来た時も、昭和の津波も被害が無かったそうで彼は津波はここまで来ないだろうという意識があった。それで彼は避難せずに、片付けを続けたのだ。
午後3時未明。
数十分片付けをして、窓に目を見やると異様な光景が窓から見えた。何時もは防波堤で見えない筈の海が、防波堤の遥か上に盛り上がって見えていた。彼はただ事ではないと思い。もっと、外でハッキリ見てやろうと外へ出る。
外へ出て、防波堤を見ると、もう既に防波堤を超えて水が流れ込んできていた。そして、けたたましい騒音とともに遠くに見える家が流れ始めた。大丈夫だと思っていた彼もその光景に恐怖を感じ、妻と逃げようと家に入る。妻を抱き起こし、運ぼうとする。だが、とても一人では運び出せなく苦闘していた。すると、見る見る内に黒々した水が家に近づいてきた。もう駄目だ。妻に後ろ髪引かれながらも、無我夢中で裏山へ駆け上がった。
裏山へ駆け上がり、家の方を見ると、自宅も、生まれ育った街も、思い出も、真っ黒な水で何も見えなくなっていた。
押し寄せていた黒々した津波の水は、やがて、更に轟音を増しながら海へ引こうとしていた。ゴーゴー、ガチガチ、ゴトゴトと何とも言えない凄まじい轟音を立てて、あらゆるモノを飲み込み、かき混ぜ、渦を巻きながら津波は去っていった。
彼は、土台だけを残し、消えてしまった我が家の前に立った。そして、涙した。何よりも長年連れ添った妻を助けられなったことが悔しかった。
それから、どこかでこの現実を受け止める事が出来ず三日間、瓦礫の中で妻が生きている事を信じて探し続けた。そして、この三日間が地獄であった。探している間に、誰とも知れぬ死体を多く発見した。それは何も死体が死体として転がっている状況だけではなく、体の一部分だけが発見されたり、ただ肉の塊として発見される事もあるのだ。やがて、瓦礫を除けて探す事が怖くなった。
四日目には疲れ果てて、彼は探す気力も無く自然と遺体安置所へと足が向かっていった。
遺体安置所にいく事もとても疲れる。設けられた遺体安置所は初日から相当数の死体で埋められていた。性別も年齢も様々な子供から老人までの遺体が整然と並べられている。
妻は中々、発見されずに彼は何日も妻の遺体を探すために遺体安置所へ通った。来れば、必ず遺体は昨日よりも今日と確実に数が増えてゆく。そして、新しい遺体を確認する。
結局、彼の妻は隣町の遺体安置所で発見された。そして、火葬場は空きがなく、土葬される事になった。
彼は言った。「そんだけども、状況は色々だ。上の人は家も無事で家族も無事。下の人は家流されたけど、家族は無事。隣の人は家も一家も全て無くなったみたいだ。津波が来てからまだ誰も隣の人を見ていない。ほんと、人それぞれだ。自分が大変な立場なのかどうかも良く分からなくなる。まぁ、今は命があるだけでいいと思って納得している。そう思わなければ前に進めないし。」
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